感想:『編集者という病い』見城徹
共同体を維持していくためには、倫理や法律や政治やそういうものが
必要だろうけども、一匹の切ない共同体にそぐわない羊のために
表現はあると思っているわけです。
尾崎豊とのエピソードが色濃く語られている。
その中で印象的な言葉が上記のものであるが
まさに表現者は表現者あるが故に少しの乱暴は許されるべきと思う。
他のあらゆる争いや戦いと違って、前提条件となるのは
勝者に何ものを与えぬこと、その者にくつろぎもよろこびも
また栄光の思いもを与えず、さらに、断然たる勝利を
収めた場合も、勝者の内心にいかなる報償をも存在せしめないこと
「勝者には何もやるな」を座右の銘とする見城氏
最高の努力で最高の結果を勝ち取るような瞬間を
いつか感じてみたいものです。
感想:悩みどころと逃げどころ
なんでもない日は本を読むに限る。
元祖プロゲーマーことウメハラ氏と社会派ブロガーちきりん氏による
対話が書かれている本。
最も興味深いことは両者人柄が正反対でありながら共通する点も多いように思えたところである。
半径5メートル以内のことにしかないウメハラ氏と以外のことばかりに目がいく、ちきりん氏。お互いがお互いを「変わっている」と称するが第三者から見れば両者幾分変わりものと感じる人が大半だと思う。
そんな二人が「日本の教育制度」を展開する。
先生の指示に従うのみの授業、通信簿による評価、そんな学校的価値観への抵抗。学校では居眠りをし、10代をゲームに捧げた人とは
思えないよう的確な自論を展開するウメハラ氏に脱帽した。
氏はゲームを通じて学校で学ぶべき「思考力」「社交性」を能動的に
学習したと発言の随所で伺えるのである。
学校が全てではない。自分の進む世界で真剣に勝とうとすれば
そこには壁があり、乗り越えようとするうちに考える力や聴く、話す力が
身につくようだ。多様性が認められようとするこれからの社会にはよりそのような成長が期待されるのかもしれない。